自動車鈑金・塗装・修理見積りの“日本一”を競い合うBPグランプリ2016。2013年、2014年につづき3回目を迎えた今回は1,270人の技術者がエントリー。「鈑金技術」「塗装技術」「見積り技術」の3部門があり、全国を10ブロックに分けて、各ブロック1位を決勝大会進出者とし、各部門の日本一を決定した。2016年10月29日(土)・30日(日)に行われた決勝大会では、「鈑金技術」「塗装技術」においてヤナセオートシステムズのメカニック3名が出場。うち2名が入賞を果たし、優秀な成績を残した。今回は決勝大会に出場した3名のメカニックにBPセンター岡山に集まっていただき、出場までの軌跡や、グランプリ当日のようすについて伺った。
BPグランプリ全国大会ご出場お疲れさまでした。
まずは、BPグランプリに出ようと思ったきっかけを
教えていただけますか。
須郷:私は上司から勧められて出場を決めました。エントリーした当時はBPセンター仙台に所属していたので東北代表として出場しました。BPセンター仙台には塗装が2名しかいなかったので、どちらが出るかという話になった時に、若手である僕に「行ってこい」ということで送り出されました。グランプリ当日はやはり緊張したんですけど、上司からは「楽しんでやっておいで」とエールをいただき励みになりましたね。
仲山:私も上司から「積極的に参加するように」と言われて、もう、受けないといけないというような雰囲気でした(笑)。じつは僕は2013年の第1回大会から出場しているのですが、いずれも予選敗退。今度こそは全国を目指したいと、リベンジの思いもありました。
浅野:私も2013年、2014年に続いて3回目の出場。2回とも思うように結果を出せず悔しい思いをしたので、3度目の正直と思い、今回も出場することを決めました。目標は全国で「てっぺん」を獲ること。今回は全国2位という結果は残せたものの、やはり1位に輝けなかったのは悔しいですね。
BPグランプリ出場に向けて準備してきたことはありますか?
仲山:2016年4月に須郷さんがBPセンター福岡に転勤してきて、同じ全国大会の塗装部門に出るということで一緒にトレーニングしてきました。全国大会で出題されたのはプリウスのフェンダーの塗装。出題問題は事前にわかっていたので、それに向けて集中的にトレーニングしてきました。本番を想定して限られた時間の中で課題を行うというようなことをやってきました。
須郷:普段は輸入車ばかりで国産は扱わないので、塗りなれない点で苦労しましたね。また、塗装で肝となるのは「調色」ですが、私の工場は、分業制で作業をおこなっている為、普段は調色の作業をやらないので、とくに調色のトレーニングに力を入れました。
仲山:大会では水性塗料を使用したのですが、過去に溶剤塗料を使っての調色は2人とも経験していましたが、水性塗料による調色は未経験。ですから、調色に対しての不安はとても大きかったですね。
須郷:溶剤塗料と比べて水性塗料は乾きが遅いので、いかに乾燥時間を短縮するかということがポイントになりました。乾く時間を短縮させることでその分時間を有意義に使えるので。
仲山:上司や先輩からのアドバイスはもちろん、塗料メーカーさんから塗り方のコツを聞いて、どうしたら早く乾くか、試行錯誤しながら練習していました。
須郷:仲山さんと、ああでもないこうでもない、ここはどうしようみたいな感じでお互いにアドバイスしながら練習をしてきました。同じ目標に向かって志気を高められる仲間がいてとてもよかったと思います。
浅野さんは板金部門出場に向けてどのような準備をしてきましたか?
浅野:私は2013年の第1回大会で敗退した時にとても悔しい思いをしました。まわりの選手たちの技術の高さを目の当たりにして、正直焦りも感じたんです。経験年数もまだまだ短い中で、普通にしていたらその差は埋まらないと感じて、私はその日から毎朝30分、スキルアップの時間を作ってトレーニングすることにしたんです。 大会では部品の取り外し、修理、組み付けの工程があるんですが、その中でも修理の工程ではいろいろなやり方がある。大会ではハンマーとドーリーを使って修理を行っていきますが、普段の業務の中ではその作業をやる機会が少ないんです。なので、毎朝のトレーニングでは修理の工程を中心に行っていました。凹んだパネルを直したり、自分が使いやすいよう道具作ったりもしました。
2013年からですと、3年間続けてきたということですよね。
自分なりに朝のトレーニングによって上達したと感じることはありますか?
浅野:上達したかはわかりませんが、「差がわかるようになった」というのはあると思います。1回目の出場の時にはただ「負けた」だったのが、2回目、3回目と重ねるうちに、「この人の板金と自分の板金がどんな風に違うか」「自分はもっとこうした方がいいんだな」とか、見えてくるようになりました。大会を通じて第3者から自分の作業を評価されるだけでなく、自分も自分自身を俯瞰して見られるようになったと思います。